こんにちは、ごりおです。
今日は節分ということで、節分で豆をまく理由について調べてみました。ネット記事ではたいてい、厄除けの意味があると説明されています。しかし、豆をまく行為は厄除け以前の本来の意味があるのでは?と考えた私は、以下の仮説に辿り着きました。
「昔は家の前が田畑だったろうし、豆をまくことは肥料を供給すること(=緑肥)だったのでは?」
そしてその観点で改めて調べたところ、不完全ながら仮説を支持するような記事が見つかりました。
<以下、ネット記事引用>
豆をまくようになったのは、農業における豊作を祈願するためです。…(中略)…畑に肥料をまく姿になぞらえて、豆まきとして現代まで続くようになったのです。。
引用元リンク:https://www.241241.jp/seedsoflife/detail/?post_id=180
前回投稿では、大豆栽培が土壌に窒素源をもたらすことに触れましたが、豆まき行事とも繋がっていたとするなら、とても面白いですね。またそうであるなら、本来の意味を知らず形だけ真似るのは少々もったいない気もしてきました。(家の前が田畑でない現代では食品廃棄になってしまいます。。)
本件、正確な情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご一報頂けると幸いです。
前回のサマリ(寸劇ver.)
前回に続き、ごりおが執筆した前回投稿の要点を、つまこの視点からいつものキャラクター達とともにゆるりと振り返るパートです。寸劇による振り返りをスキップする場合はこちら。
登場人物
ふぁんこ
世界中を旅した後、ごりおとつまこの家に居候することになった大食いの猫。猫であるにも関わらず、雑食性に目覚めてしまう。
ごり爺
ふぁんこの近所に住まう知識人ゴリラ。
今日もお腹を空かせたふぁんこは、お隣のごり爺の畑へお手伝い(?)に来ております。
こうして、少し変わった友人との会話を通して、生産性を追求することで生じる課題について、思いを巡らせたのでした。続く・・・。
前回のサマリ(本編)
前回の投稿では、現代のトウモロコシ農場を舞台に話が展開されてきました。
前回投稿のサマリ
現代の農業が生物多様性を犠牲にしながら生産性を拡大した結果、以下のような問題提起が発生している。
- 合成肥料を使用する現代の農業は、化石燃料に依存しており持続可能性が損なわれている。
- トウモロコシのコモディティ化により、生産者と消費者の繋がりが断ち切られ、食物連鎖の構造が分かりにくくなる。
- 低価格化し過剰供給となったトウモロコシは行き場を探し、様々な出来事を引き起こす。(本投稿にて詳細を説明)
★前回の投稿はこちら
今回は前述の結果として、行き先を求めてあぶれたトウモロコシが肥育場へ向かい、牛肉へ変換される過程を見ていきたいと思います。
ここでは、畜産の大規模化が健康や環境に及ぼす影響、そして「工業的畜産」と称される由縁を見ていきたいと思います。本投稿では、本書で散見された食欲が失せるような表現は極力割愛したつもりですが、もしも不快な気分にさせてしまったらすいません。
また、本書はアメリカを舞台に問題提起されています。日本人である我々はどのようにこの問題を捉えればよいのか、という点についてですが、日本は飼料用トウモロコシや、それにより育てられた牛肉をアメリカから輸入している現状があります。従って、アメリカの畜産の状況は我々日本人とは無関係の話ではない、と考えて頂ければと思います。
今回のポイント
1. 牧場から「肥育場」への移行
食肉牛の追跡において、まず繁殖経営が行われている牧場が舞台となります。食肉牛はアメリカ西部に散らばる自営牧場で生まれ、ここで生後約6か月間を過ごし、母牛の乳を飲み、牧草を食み、本来の生態系のルールに適した行動をとりながら育ちます。
牛と牧草は共進化関係にあり、牛は第一胃という特殊な消化器官を使って牧草をタンパク質に変換することができます。従って、牧草地で食肉牛を育てることは、太陽光のエネルギーを牧草を介して食物に変える持続可能な食物連鎖であり、生態学的な理に適っています。
仔牛は牧場で6か月間を過ごした後、「肥育場」に移り、そこでトウモロコシを食べさせられます。本来、草食の牛はトウモロコシはほとんど食べませんが、屠殺体重に達するまでのスピードを早めるためにトウモロコシで育てるのです。その結果、1世紀前の食肉牛は4~5歳で処理されていたのに対し、現代ではこの時期が生後14~16か月になりました。このように、安価なトウモロコシを飼料として、食肉牛の体重を短期間で増加させる場所であることから、「肥育場」と呼ばれているのです。
健康意識が高く料理への拘りが強い消費者は「グラスフェッドバター」を選ばれると思います。これは、牧草だけを餌として与えて育てられた牛のミルクを用いたバターです。その多くはオーストラリアやニュージーランドから輸入されますね。
私もなんとなくグラスフェッドバターを買っていたよ。少しお高いからお財布に優しくはないんだけれどね…。なんとなく「この種類のバターの方が高付加価値品だ!」という印象を漠然と持っていたけれど、よく考えたらグラスフェッドバターこそ人類が歴史的に食べてきたバターに近いものかもしれないね!
歴史を振り返ると、第二次世界大戦前には多様性ある古き良き農場でその一生を過ごしてきた家畜たちが、戦後は「肥育場」へ移り、密集した畜舎内で飼育されるようになりました。そして、前回の投稿で説明した、「供給過剰で行き場を探し求めた安価なトウモロコシ」がこのような畜産への変化を後押ししたのです。
このような大規模な畜産は、経済合理性の点では魅力的なシステムに見えます。その恩恵として、かつてはアメリカの大半の家庭で特別な御馳走であった牛肉が今では安価に入手可能となりましたし、日本でも大手チェーンで安価な牛肉製品が食べられるようになりました。しかし、経済合理性の裏では健康や環境面で様々な問題を引き起こしているようです。
2. 大規模畜産による健康・環境への影響
2-1. 健康面への影響
大規模畜産は、牛にトウモロコシ飼料ばかり与え続け育てることが前提となります。そのことは、牛そのものや、その肉を口にする人間に感染症リスクや栄養面の影響をもたらすことになります。
2-1-①: 感染症リスク:
牧草を食べるようにできている牛に穀物を食べさせられるように、牛の品種改良は進んでいます。しかし、少なくとも本書執筆時点では完全な進化を遂げておらず、肥育場の牛のほとんどが膨張症や酸毒症といった症状に冒されていたようです。ここでは、1990年代に流行した大腸菌O-157と酸毒症の関連について指摘されていました。(その内容は別の機会に詳述します)
O-157は私が小学生の時に流行して大問題になりましたが、まさかこの病原菌の発生源が肥育場であったとは知らなかったです。Covid-19の時のように、大流行の真因について話題に挙がった記憶はないですね。不都合な事実はあまり積極的に報道されないのでしょうか。。
実は、牛の処理前の数日間に飼料を牧草や乾草に変えることで感染症リスクは大幅に減らせるようです。しかし、現場ではコスト上の理由で肉に入りこむ細菌を放射線照射により殺すことで対処されているようです(※1)。1990年代の流行以降、大腸菌による感染症は沈静化していますが、不健康な飼育により潜在的な感染症リスクを抱えるようになったことが指摘されています。
食肉解体時の衛生管理体制が強化されること自体は良いことですが、経済合理性を追求して生物学的に不自然で不健康な飼育(例えば、牛にトウモロコシを食べさせる、等)でリスクを高めてしまい、これを管理する為に追加的なコストを支払う必要があるのは、残念なことですね。
2-1-②: 栄養面の影響:
トウモロコシを食べて育った牛の肉がアメリカ人の健康問題に繋がっていると指摘する研究者は多く、牧草を食べて育った牛の肉と比べて飽和脂肪酸が多く不飽和脂肪酸が少ないことが根拠とされています(※2)。但し、これに関しては、日本の1人当たり年間牛肉消費量(7.6kg)はアメリカ(25.3kg)の30%程度であり(2023年現在※3)、不飽和脂肪酸を多く含む魚をたくさん食べるので、平均的なバランスの良い食生活を営んでれば影響は限定的でしょう(※4)。
ここで言いたいのは、「自分たちが食べているものが、何を食べて育ったかが栄養面に影響する」ということです。今後、畜産だけでなく水産分野も技術が進化していく流れがあります。例えば、技術革新で養殖魚の餌が安価なトウモロコシに変わると、魚肉の栄養成分も変わっていくでしょう。
2-2: 環境面への影響
次に、環境面への影響を見ていきます。昔ながらの多様性ある農場で家畜を育てていた頃は養分が農場内で再利用されてました。これは前回投稿や、今回投稿の冒頭の寸劇でも示されています。これに対し、肥育場でのトウモロコシの大量利用は、生態系に対して2つの新しい問題をもたらします。
2-2-①: 生態系の持続可能性の問題:
前回まで見てきた通り、大量のトウモロコシを育てるのに農地の土壌では大量の養分が消費され、これを補完するため合成肥料が使用されます。合成肥料は化石燃料を用いて製造される為、生態系の持続可能性が失われます。著者が農業とエネルギーの専門家に、屠殺体重に達するのに必要な石油用の算出を依頼したところ、毎日10kgのトウモロコシを食べ続けて体重540kgに達するまでに132Lの石油を使用するといった試算結果が得られたそうです(※5)
2-2-②: 肥育場周辺の汚染問題:
かつての小規模農場では家畜の排泄物は堆肥として活用されていました。一方、畜産業の大規模化・専業化で農場との物理的な距離があるアメリカでは輸送コストが高い等の理由で、堆肥利用が進みにくく、肥育場周辺に撒かれて環境汚染を引き起こすといった問題があるようです(※6)。家畜排泄物から堆肥やメタンガスを生成し活用する為に大規模プラントを設置する動きはありますが、プラント建設にもコストがかかります。
畜産業単体では大規模化で効率化が進んだものの、生態系や社会全体では問題が生じ、これを解消するために結局はコストがかかっている、という構造になっています。
3.「工業的畜産」の意味するところは?
ここまでで、大規模化して個別最適化された畜産が牛や人の健康、自然環境を害し、これに対応する為に追加的なコストを支払わなければならないという実態を見てきました。結局、ウマい話はそうそうないもので、どこかでツケを支払わなければならないのです。
著者は、今回見てきたような大規模畜産を「工業的畜産」とも称しており、その中での食肉牛のことを以下のように表現していました。
それは化石燃料で動く、新しい機械だ。そしてこの機械は、痛みを感じることができる。
引用 「雑食動物のジレンマ(上)」
冒頭のイラストはこの表現をベースにつまこが作ってくれたものです。牛の身体をまるで機械のように見なし、その生物学的な特徴を無視し、化石燃料から作られた安価なトウモロコシを食べさせ、大規模で効率的に付加価値の高い肉という製品をつくる。これが、「工業的畜産」と呼ばれる由縁です。
工業製品化した肉を食べるには、無知という、そして今では忘却という、
引用 「雑食動物のジレンマ(上)」
勇ましいともいえる度胸が必要なのだ
これは、私が強く印象に残った言葉の一つです。
現代は誰でも簡単に肉を食べられる社会です。その社会で、少なくとも日本では「肉食をやめる、もしくは減らす」という行動が、「意識が高い」と見なされる風潮があるかと思います。しかし、工業的畜産の現場で起こっていることを知った上で、その肉を食べるという選択肢をとる場合、それは度胸なり勇気が必要となる(はずだ)と皮肉を込めて表現しているわけですね。
本書ではアメリカの肥育の実態が取り上げられていましたが、国産の肉を選んだとしても、その肉ができあがる現場を私たちは知らずに食べているんだな、とも感じさせられました。
今回のまとめ
次回予告
1月頭にブログを開始した際、1冊/月ペースで書籍を紹介すると宣言しておりましたが、早くも計画変更となります。書籍の内容を表層だけなぞるのは、他の情報源と差がなく面白みに欠けると執筆しながら感じ、詳細まで内容を紹介する方針に変更しました。特に「雑食動物のジレンマ」は内容が非常に深い本なので、3~4か月をかけてじっくり紹介していきたいと思います。
さて、書籍「雑食動物のジレンマ」の紹介については、次回は「加工食品」に触れて、第一章の「工業的な食物連鎖」を締めたいと思います。
ですが、次回投稿では書籍紹介から一旦離れることにします。「動物の食性と身体的特徴や進化」を取り上げてみます。人類が雑食性を獲得するのにどのような身体的進化を遂げたか、そしてウシやイヌ、ネコなど他の動物はどのような生存戦略で身体を進化させてきたか、についてご紹介します。
関連メディア紹介
①フード・インク(2008年、米国):今回の投稿で紹介したような工業型畜産の問題について体系的に、より知りたい方にはお勧めのドキュメンタリー映画です。
②オクジャ(2017年、米国):テーマとしては動物倫理寄りのヒューマンドラマですが、工業型畜産が行き過ぎた形が示されています。工業型畜産についてもうちょっと知りたいな、って人にはこちらの作品の方が良いかもしれません。
注釈・脚注
※1:米国食肉輸出連合会サイトでは高圧蒸気で繰り返し洗浄を行い1頭ずつ枝肉と内臓を検査していると説明がありました。
※2 誤解を避けるために断っておくと、人間の身体には飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸の両方が必要であり、そのバランスが重要です。戦前の日本人は飽和脂肪酸の摂取量が少なく血管が脆くなりやすい上で、塩分摂取量が多く高血圧になりやすいため、脳出血が多かったようです。戦後はこれが改善され、食の欧米化のメリットの一つとされています。
※3:各国・各年代の肉消費量は 、OECD , Meat consumption (indicator)で調べることができます。
※4 ある研究では、赤肉(牛肉・豚肉)の摂取量が最も多い男性の被験者グループでは総死亡および心疾患脂肪リスクが高いが、その他の被験者グループ間で有意な差は見られないとの結果が報告されています(参照元:国立がん研究センターHP
※5:牛の飼育の環境負荷については、化石燃料を消費している面以上に、近年では温室効果ガス(GHG)排出の問題が注目されています。これは、トウモロコシ飼料の栽培で化石燃料を使用し排出するCO2と、牛のゲップや家畜排せつ物に由来するメタンガスの両方に温室効果があるという問題です。しかし、なぜか本書ではGHG排出の問題は触れられていません。本書のテーマである「食物連鎖の追跡」からやや逸脱している為かもしれませんし、本書執筆時点で温室効果ガス排出の問題は取り沙汰されていなかったのかもしれません。
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