こんにちは。
冒頭でご報告があります。実は昨年度、中小企業診断士の資格試験にチャレンジしておりましたが、残念ながら2年連続で二次筆記試験に不合格となってしまいました。
リベンジするつもりでいるのですが、二次試験の受験資格である一次試験の合格実績が2年で無効になってしまうため、もう一度一次試験からやり直しとなります。
一次試験は7科目と広範囲なのですが、1科目ごとに受験が可能な科目合格制度がありますので、2~3年かけ合格を積み上げていくというやり方もあります(前回はそうしました。ただ、3年前に勉強したことは半分以上忘れてますね。。)
また、過去に合格した一次試験の科目については二次試験の合否に関係なく履歴書などに書けるようになっています。この資格に興味のある方がいらっしゃれば、まずは主要科目(企業経営理論、財務会計など)から勉強をスタートしてみることもお勧めします。読者の中には、診断士資格と食の情報発信のつながりがよくわからん、という方もいらっしゃるかと思いますが、追々語っていきたいと思います。
前回のサマリ(寸劇ver.)
ごりおが執筆した前回の投稿を、つまこの視点から愛らしいキャラクター達とともに寸劇で振り返ってみましたのでご覧ください。寸劇による振り返りをスキップする場合はこちら
登場人物
ふぁんこ
世界中を旅した後、ごりおとつまこの家に居候することになった大食いの猫。猫であるにも関わらず、雑食性に目覚めてしまう。
ごり爺
ふぁんこの近所に住まう知識人ゴリラ。
ごりお一家に居候中のふぁんこは、ご近所さんのごり爺とリビングでお茶の時間を過ごしていました。
食物連鎖についてのありがたい講義を聞かせようとしたが、ふぁんこの妄想に付き合わされるごり爺であった・・・。続く・・・。
前回の投稿を読んで、自分が普段口にしているものが食物連鎖の元を辿ると何に行きつくのかについて、人間も(猫も)想像力を膨らませるのは難しいという問題について学んだので、それをまとめてみました。
前回のサマリ(本編)
さて、寸劇でも表現されていたように(笑)、前回の投稿では、現代の食物連鎖ではトウモロコシが中心的な存在となっていることを見てきました。
前回投稿のサマリ
現代の食物連鎖において、肉、卵、牛乳、乳製品等のさまざまな食品がその元を辿るとトウモロコシに辿り着く構造になっていて、トウモロコシの影響が急拡大している。このように特定の作物に対して過度に依存する構造になっている一方で、消費者の視点からは、このような歪な食システムの実態を認識することが難しい状況になっている問題も孕んでいる。
★前回の投稿はこちら
尚、この本は2007年にアメリカ人によって書かれた本なので、アメリカを舞台に話が進んでいます。なので、読者の中にはこのテーマを日本人としてどう捉えるべきか分からないと感じる方もいると思います。私自身も本書を読み進めながらそう感じ、次から次へと湧き出る疑問を解消するために読書の旅を続けています。本書で提示されているテーマを日本を舞台に考える場合、どのように解釈すべきか。これについては、書籍の紹介が一通り終わった段階で考えていきたいと思います。
さて今回はトウモロコシ農場に舞台を移し、トウモロコシの隆盛によって農場の生物多様性が失われていること、トウモロコシ栽培が化石燃料からつくられた肥料に依存していること、そして農作物のコモディティ化による低価格化や過剰供給で食物連鎖が作り変えられていることを説明します。
但し、トウモロコシそのものが悪いと言っているわけではありません。あくまでグローバル化する現代の食システムで全体的に起こっていることを、トウモロコシを題材として取り上げて語っている、と捉えて頂ければと思います。
今回のポイント
1. 失われる生物多様性
現代の食物連鎖を追跡する著者の旅の舞台は、アメリカ中西部アイオワ州の見渡す限りのトウモロコシ農場に移ります。現農場主のおじいさんの時代(20世紀前半)では、平均的なアイオワの農場は多種多様な動植物(馬や畜牛、鶏、トウモロコシ、豆、リンゴ、オート麦etc..)で溢れ、農家は緑豊かで多様性のある生態系を維持しながら家族や家畜を養ってきました。古き良きアメリカのイメージですね。
それが次第に家畜や牧草地がこの地から消え(=「より効率的な」肥育場へ移行することで消失し)、トラクターに仕事を奪われた馬が消え、多様な植物がトウモロコシに取って代わられました。その結果として、単調なトウモロコシ畑の風景に様変わりし生物多様性が失われたということです。
これにより、1世紀前にはアメリカでは4人に1人が農場に住んでおり、家族と他12人分の食料を賄っていたのに対して、現代のアメリカでは1農場当たり129人分の食料を生み出すようになりました。労働者1人当たり生産高で計算すると、現代の農場主は歴史上、最も生産的な農家だということになります。
このように、現代の農業では生物多様性を犠牲にしながら生産性を拡大してきました。では生物多様性が失われると何がいけないのでしょうか?
本書では、古き良きアメリカの風景が失われること以外に生じうる、実際的な2つの問題を取り上げています。一つは病虫害の発生とこれに対する農薬使用の問題。もう一つは地力の低下とこれに対する合成肥料の使用の問題です。ここでは、後者の合成肥料の使用について取り上げたいと思います。
2.化石燃料に依存した農業
トウモロコシの隆盛の歴史を辿ると、その生産量が爆発的に伸びたのは、合成肥料が登場してからです。元来、トウモロコシは他の作物より多くの養分を消費します。合成肥料が登場する前は、土壌内の窒素量※1が土地で栽培できるトウモロコシの量を規定していました。その為、土壌中の養分が枯渇しないよう、戦前は豆類との輪作※2を行い、家畜堆肥を使って栄養素を再利用することで、地域の肥沃性のサイクルを回していました。
ところが、大気中に存在する窒素を植物が利用できる形へと化学的に変換する技術(ハーバー・ボッシュ法)が20世紀初頭に発明されました。この技術を活用した合成肥料が使われるようになったことで、農家は土壌内の窒素量の制限を気にする必要がなくなり、大豆と堆肥も不要となりました。結果、好きなだけトウモロコシを栽培できるようになり、その生産性が飛躍的に向上したのでした。
しかし、人類はハーバー・ボッシュ法という革新的な技術を獲得したことで大きな代償を負うことになります。確かにこの技術は、大気中の約80%を占める窒素を動植物が利用できるようにする優れたものですが、莫大な量のエネルギーを必要とするため、これを賄うために化石燃料(石油や石炭、天然ガス)が消費されます。このような大量消費のシステムは当然ながら持続可能性に疑問符が付くわけです。
産業効率という観点から見ると、
引用 「雑食動物のジレンマ(上)」
人間が直接石油を飲めないのはまったく残念な話ではないか。
肥料の製造のための天然ガスを含め、殺虫剤の製造、トラクターの稼働、収穫、乾燥、輸送するために使われる化石燃料を全て合わせると、膨大な量が必要になります。1カロリーの食料をつくるのに、1カロリーを超える化石燃料が必要になるようです。上記はそのことを皮肉っています。
太陽から引き出された肥沃性を利用するという昔のやり方は、いわば生物学的なタダ飯だ。
引用 「雑食動物のジレンマ(上)」
けれどもその店のサービスはのろく、ひと皿分の量ははるかに少ない。工場では時は金なりであり、生産量が全てなのだ。
大豆を輪作して堆肥を使う、生物多様性に溢れた従来の農業の在り方は、外部から合成肥料(=エネルギー)を仕入れてくる必要がなく、半永久的に持続可能である点で「タダ飯」と言えます。しかし、生物的な制約を受けることから無制限に生産することはできないため、その「タダ飯」の「サービスはのろく、一皿分の量ははるかに少ない」のです。著者は、合成肥料を利用した現代の農業は、工業的ルールに則り、規模の経済(たくさん作ればその分利益が伸びる)や効率性(土地・時間当たりの生産量を上げることを重視)が適用されるようになったと述べています。化石燃料のエネルギーを安く利用できるという現代のビジネス環境では、こうした持続可能性の低い方法でトウモロコシを作ることが経済的合理性が高いことになり、後押しされるわけです。
合成肥料についてはまだまだ書きたいことがありますが、また次の機会にしたいと思います。
※1:植物の生育に必要な3大栄養素は窒素、リン、カリウムと言われていますが、ここでは話を単純化するために窒素に絞って話を進めます。
※2:なお、豆類を輪作していたのは、その根に存在する根粒細菌の働きで、植物が利用可能な窒素成分を供給してくれるためです。従来、5回に2回は豆類を、3回はトウモロコシを栽培していたようです。
私が農学部を志した当初は、食糧増産により飢餓問題などを解決したいと考えていたものです。その頃にイメージしていたのは、まさに規模を拡大して生産性が向上している絵でした。しかし、単純な規模拡大や生産性の向上を目指すと大きな代償を伴うことを知っておかなければならないですね。
行き過ぎた農業は地球を破壊するパワーがあることは、これまでの人類の歴史で目撃されていますが、これこそが、繰り返される「雑食動物のジレンマ」の一つだと考えています。
3.トウモロコシの行き先
工業的ルールに則り生産量を拡大したトウモロコシは、巨大穀物倉庫(カントリーエレベーター)に送られます。これらはもはや、我々が食べ物として認識しているトウモロコシとは一線を画した穀物商品(コモディティ)と変化します。伝統的な方法で生産されるトウモロコシは、コモディティ化したそれは、どのような違いがあるでしょうか?
19世紀に相場商品としてのトウモロコシがシカゴで発明されたそうですが、それ以前は、トウモロコシは麻袋に入れて売買され、通常は栽培農場名が記載してあり、農場から製粉所や酪農場まで追跡することができました。これにより、麻袋は農家と買い手を結び付けていました。
しかし、鉄道やカントリーエレベーターの登場で、産地の異なるトウモロコシは一か所に集められ、まるで液体同様に扱われながらシカゴ市場を経て世界各国のバイヤーへと流れつくことになります。このように、穀物商品の発明は、食糧の生産者と消費者との間にあるべきあらゆる繋がりを断ち切りました。そして、ある穀物がある農場から辿り着いたという個性や軌跡もこそぎ取り、最低限の品質さえクリアすればよいことになりました。
その結果、農家は収穫量を増やすことだけに集中すればよくなり、更に、政府の農業政策による多額の補助金の後押しもあり、膨大な量の安価なトウモロコシが生産されるようになりました。この当然の帰結として需給バランスが崩れることで、大量の余剰トウモロコシが発生します。これらは行き場を探して一見関係のなさそうな一連の出来事を引き起こします。それは、畜産場の台頭、食品の工業製品化、肥満や食中毒の蔓延なのです。これらのテーマは次回以降に詳細に取り上げたいと思います。
今回のまとめ
今回は、現代の農業が生物多様性を犠牲にしながら生産性を拡大してきた経緯を取り上げ、以下のような問題提起に触れました。
- 合成肥料を使用する現代の農業は、化石燃料に依存しており持続可能性が損なわれている。
- トウモロコシのコモディティ化により、生産者と消費者の繋がりが断ち切られ、食物連鎖の構造が分かりにくくなる。
- 低価格化し過剰供給となったトウモロコシは行き場を探し、様々な出来事を引き起こす。
次回は、3に関連するテーマの一つである、【トウモロコシの行き先である畜産場】を見ていきたいと思います。
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